2013年4月24日水曜日

ルーベンス展

すぐに飛びつきたい気持ちを抑えて、頃合いを見計らって挑む。…って、これ、私の美術館めぐりのコツです。しかしタイミングを伺いすぎて、うっかり見逃すところだったのが、ルーベンス展。いつの間にか、最終日になっていました。

■ フランダースの犬


日本人にとって、ルーベンスを語るに欠かせないのが、アニメ「フランダースの犬」。「パトラッシュ、ぼく、もう疲れたよ」といって、クリスマスに天に召されてく少年ネロと愛犬パトラッシュの最期を涙なしで見られる人はいないでしょう。画家を目指すネロが最後にたどり着いたアントワープの大聖堂で、どうしても見たかったのが、ルーベンスの「キリストの降架」。この絵を見ながら、ネロは静かに微笑みながら天使に導かれていくのです。

ピーテル・パウル・ルーベンス『キリストの降架』(1610年〜1611年)
(聖母マリア大聖堂/アントウェルペン)




この絵を見るために、世界中から観光客が訪れます。したがって、おそらく門外不出。ルーブルのモナリザのようなものですね。

■ 美の基準とは…


ルーベンスは、多くの女性(裸婦)を描いていますが、こちらはうってかわって日本人にはイマイチ人気がないのです。それはなぜか。


ピーテル・パウル・ルーベンス『三美神』(1635年)
(プラド美術館/マドリード)




肉感的というよりも、セルライトまみれで「絶対にこうはなりたくない」という感じ。一番可愛らしく描かれている左の女神は、ルーベンスの二番目の妻エレーヌがモデルと言われています。それにしても、ちょっとねぇ…。(※上の二つの絵は今回出品されていません)


ピーテル・パウル・ルーベンス『ロムルスとレムスの発見』(1612年〜1613年)
(カピトリーナ絵画館/ローマ)



今回の目玉作品。世界最古の美術館、ローマのカピトリーナ絵画館が所蔵するこの作品は、ローマの建国にまつわる故事を描いたもの。兄から王位を奪った弟が、復讐を恐れて兄の孫である双子の兄弟ロムルスとレムスをテヴェレ川に捨てるよう命じましたが、彼らは生き延びて狼とキツツキに育てられました。

やがて羊飼い夫妻に引き取られ、成人し、双子は都市を建設しようとするのですが、兄弟で争いが起こり、弟は兄に殺されてしまいます。こうして兄が建国者となり、多くの人々を街に住まわせましたとさ…というのがローマ建国のお話。

これは、狼が乳を与え、身体を舐めて清潔にし、キツツキが食べ物を運んで双子を育てている場面を、やがて養父となる羊飼いが発見する場面です。左のマッチョな老人は、今もローマを流れるテヴェレ川の擬人像。彼の後方にいる女性は、川の水源を象徴するナーイス(美しい女性の姿をした泉や川のニンフ)。

ナーイス(あるいはナイアス)は英語でnaiad、語源はnurseと同じで、泳ぐこと、流れること、乳を飲ませること、養うこと。控えめに描かれていますが、この物語全体を象徴する重要な役割を担っているように思います。


■ 「ルーベンス」か「ルーベンス工房」か


ルーベンス作品のクレジットをよく見ていくと、「ルーベンス工房」とされているものが多く存在します。現代の我々の感覚では、画家は個人で作品を完成させるものというイメージがありますが、それは近代になってからのこと。

画家は芸術家という扱いではなく、王侯貴族や富豪の注文あっての職人に過ぎませんでした。万能の天才ダ・ヴィンチもヴェロッキオという親方の工房に弟子入りし、腕を磨いたのです。ルーベンスもイタリアで修行を重ね、故郷アントワープ(ベルギー)で工房を構える親方となりました。

ルーベンスが育てたもっとも有名なスターといえば、ヴァン・ダイク。自身が描く肖像画と同じように繊細な美貌の持ち主だったとか。




アンソニー・ヴァン・ダイク『悔悛のマグダラのマリア』(部分)(1618〜1620年頃)





この流れる涙の美しさは、ぜひ本物を見ていただきたい!というくらいに素晴らしい。まるで真珠のように光輝くマグダラのマリアの涙は、図録や写真では到底再現できません。


■ ルーベンス型とゴッホ型


画家というと、つい「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり…」という石川啄木の短歌が浮かんできそうなイメージがあります。(日本人が大好きなゴッホはこのタイプの典型ですね)しかし、必ずしも貧しい生い立ちから立身出世した人たちばかりではありません。

ドラクロワ(3月24日付記事「ルーブル・ランス−自由を探して−」をご参照くださいませ)やルーベンスは政府高官の子息として生まれました。おまけにルーベンスは、画家でありながら数カ国語を操る外交官としても活躍し、文字通り成功と栄光に満ちた人生を歩んだ人物です。

一方、ゴッホは常に無一文で弟のテオに生活の面倒をみてもらい、おかげで弟夫妻が不仲になるわ、生きている間に売れた絵はたった1枚しかないわ、認められるということを味わうことのない一生を送りました。しかし、どちらも21世紀を生きる私たちから見れば、美術史に欠かせない「巨匠」なのです。

つまり、何事も自分次第ということですね。


■ 日本の美術館って…


話は変わりますが…

いつも気になっているのが、日本の美術館の鑑賞スタイル。今回も「他の方のご迷惑となりますので私語は謹んで鑑賞してください」といった内容の貼り紙があり、毎度驚かされます。確かに、日本の美術館は天井も低く、狭いスペースなので、音が反響しやすく、わずかな話し声でも気になってしまうのは事実。

私自身は一人で鑑賞することが多いのですが(人と行ってもほとんど解説などしない)、普通は友人同士や家族、カップルなどで楽しみたい場合がほとんどだと思います。それを無言で鑑賞しろというのも酷な話です。無言で鑑賞できるほどの知識があるならまだしも、一般的には日本の美術教育はそれほどレベルが高くないのが現実です。

また、子供がほとんどいないのも日本の美術館の特徴。無言の鑑賞を強いられる環境では、周りの視線が恐くて、親御さんはとても子供など連れて行く気にならないでしょう。(我が両親はよくぞ幼い私をひっぱり回したものです)最近では、一部の美術館で子供向けに鑑賞の手引きを作ったり、お絵描きボードを貸出したりしていますが、まだまだ、という感じです。

海外の美術館では、小さな子供連れの家族はもちろん、先生を取り囲んで、生徒たちが床に座り、必死でノートをとる、という学校の授業の1コマがよく見られます。また、折りたたみ椅子を構えて模写をする画学生もいます。広い建物の中でゆったりと、それぞれの感想や印象を静かに語りあう、という光景がごく自然に繰り広げられています。



コートールド美術館(ロンドン)にて


日本の美術館も、老若男女が自由に語らいながら楽しめて、感性豊かな子供たちが育つ環境が整うことを切に祈ります。

ルーベンス
−栄光のアントワープ工房と原点のイタリア−

      2013年3月9日(土)−4月21日(日) Bunkamura ザ・ミュージアム 終了
      2013年4月28日(日)−6月16日(日)北九州市立美術館
                            http://rubens-kitakyushu.jp
                      2013年6月29日(土)−8月11日(日)新潟県立近代美術館
      http://www.lalanet.gr.jp/kinbi/exhibition/index.html


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2013年4月10日水曜日

The color story - Black -

今日は、美術館から少し離れて、色と映画のお話をしましょう。

もしも無人島に住めといわれたら、持っていきたい本が二冊あります。ひとつはサガンの「悲しみよ こんにちは」。もう一冊は「ティファニーで朝食を」。

この二冊は私が中学生の頃から愛読していて、何度読み返したかわかりません。当然、本はボロボロ。いずれも最近、新訳が出ていますが、どうもしっくりきません。愛着があるもうひとつの理由は、本の装丁。「悲しみよ こんにちは」の表紙は、ビュッフェ。我が家の居間には長年ビュッフェのリトグラフが飾られていました。「ティファニーで朝食を」の表紙は、オードリー・ヘップバーン。これは表紙に惹かれて買ったことを今でもよく覚えています。



「ティファニーで朝食を」は、映画の方がよく知られていると思います。ところが私は原作を先に読んだので、高校生になって映画を初めて見たとき、「何じゃこりゃ!」とがっかりを通り越して怒りを感じました。だいたい、原作では主人公のホリー・ゴライトリーと作家志望の語り手はあっさりくっついたりしないのです。そのちょっぴりドライな感じが何ともニューヨークっぽくって、かっこいいなあ…と思っていたのでした(高校生のくせに!)。

映画のもう一つのがっかりポイントは、原作では主人公のホリー・ゴライトリーは郵便箱の名札に「ミス・ホリデイ・ゴライトリー、トラヴェリング(旅行中)」と書いてある、というくだりがあるのですが、私がもっとも気に入っているこの箇所の描写が、映画ではカットされているのです。

飼い猫に名前は付けず「キャット」と呼び、家具はほとんど持たず、部屋の隅にはスーツケースがいつもあり(ここまでは映画にもある)…そして、彼女がいつも、誰からも、どんな環境からも、自由でいたいという気持ちの象徴として、名刺の住所は「トラヴェリング」。なんてかっこいいんだ!と、これまた熱く思っていたのでした。

…と、いうわけで、私の中ではかなり映画の評価は低かったのですが、この映画には別の魅力があると気づいたのは数年前のことです。

朝の5時、まだ静かな5番街に1台のタクシーが滑り込んでくる。車は57丁目の角のティファニーの前で止まり、明け方には似つかわしくない黒のドレスに身を包んだ一人の女が降りてくる。女は、手にパンとコーヒーを持ち、ティファニーのウインドウを覗き込みながら、店の前で朝食中。この静かな5番街の朝の情景が、いつの頃からかお気に入りのシーンになりました。



ここで世界中の女性を虜にしたのが、オードリー・ヘップバーンが纏っている「リトル・ブラック・ドレス」。そう、私が一目惚れして買った文庫の表紙のドレスです。シンプルなんだけど、凝った背中のデザインや、何連にも重ねづけしたパールのネックレス、顔の半分が隠れるくらい大ぶりなサングラス。

衣装を担当したのは当時まだ無名だったジバンシィでした。これ以降、オードリーはジバンシィのミューズと呼ばれるようになります。その他のシーンでも彼女が身につけている衣装のひとつひとつがシンプル且つエレガントで、50年以上前の映画なのに、どれも今身につけてもまったく古さを感じさせません。

映画の公開と同時に、瞬く間に世界中の女性がこの「リトル・ブラック・ドレス」(あるいはそれに似たもの)を買い求めたといいます。都会的でシャープな印象を与える黒のドレスは、まさに5番街のファーストシーンにホリー・ゴライトリーを登場させるにうってつけの衣装でした。黒の持つイメージキーワードは、高級感、暗黒、悲哀、絶望、孤独など。自由を謳歌しているはずの彼女が、なぜティファニーの前で朝食をとるのか、その答えも黒のメッセージに隠れている気がします。


もうひとつ、この映画の中では色にまつわるこんな会話が交わされます。

—You know those days when you get the mean reds?
(あなたにも気持ちが赤く沈むことがあるでしょ?)
—The mean reds? You mean like the blues?
(赤く?暗くだろ)

the blues を翻訳してしまうとこの会話の面白さが半減なのですが。






余談ですが、あまりにこのシーンのオードリーが可愛くて、思わずレプリカのアイマスクを買ってしまった私。レプリカといいながらもシルク100%で着け心地抜群。CAさんにギョッとされながらも、私の「トラヴェリング」には欠かせないグッズです。



数年前に本屋のアウトレット市で見つけたオードリー・ヘップバーンの本。彼女が出演した映画のチケットや台本から、子供が生まれたときの映画関係者への挨拶状の複製なども入って、ファンにはたまらない一冊。写真は、「ティファニーで朝食を」の原作者、トルーマン・カポーティからの書簡、脚本の一部、試写会の招待状。ちなみに、カポーティは、ホリー役をオードリー・ヘップバーンではなくマリリン・モンローにさせたかったというのは有名な話です。



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2013年4月2日火曜日

英雄とはいかに -ナポレオンの戴冠式-

■ 見れば見るほど不思議な絵


昇進昇格、配置転換など、様々なドラマが至るところで繰り広げられる季節となりました。古今東西を問わず、人の集まるところに蠢く権謀術数が織りなす喜悲劇は、絵画の中にも垣間見ることができます。今日は、天国と地獄を味わった男の絵を見に行きましょう。

ジャック=ルイ・ダヴィッド『ナポレオンの戴冠式』(1806〜1807年)
(ルーヴル美術館/パリ)



タテ6.21m×ヨコ9.79mにも及ぶ大作です。見るものはまずこの大きさに圧巻されるわけですが、このタイトルと絵の内容が、何だかおかしな気がしませんか。



月桂樹の冠を被り、王冠を授けているのがナポレオンだということは何となく想像ができます。しかし、これは『ナポレオンの戴冠式』という絵のはず。戴冠されるはずのナポレオンがなぜ、女性に冠を授けているのでしょうか。

画家のジャック=ルイ・ダヴィッド(1748年〜1825年)は、1789年のフランス革命時にはルイ16世の処刑賛成に一票を投じたジャコバン党員でした。しかし、ナポレオンが台頭するや否や、皇帝付きの画家としてナポレオンの栄光を讃えるプロパガンダとしての作品を世に送り出していきます。

この絵は、1804年12月2日にパリのノートルダム大聖堂で行われたナポレオンの戴冠式を描いたものです。画家自身も戴冠式に列席し、この絵の中にもスケッチをする自身を描き込んでいます。当初は、ナポレオンが自らに戴冠する構図でしたが、これは皇帝自身から「あまりに傲慢すぎる」と指摘され、妻である皇妃ジョセフィーヌに冠を授ける場面に描き直したものです。したがって、この絵は『皇帝ナポレオン一世と皇妃ジョセフィーヌの戴冠式』といわれることもあります。

それにしても…

私にはやっぱり傲慢にみえてしまうのですが。というのも、ナポレオンの後ろに座っているのはローマ教皇ピウス7世です。カトリック国の君主はヴァチカンのローマ教皇の元に赴き、戴冠されるのがこの時代の常識なのですが、ナポレオンはヴァチカンに出向くのではなく、教皇をパリに呼び寄せました。おまけにその前を遮るかのように立ちふさがり、自分の妻に自らが冠を授けている。


教皇が右の人差し指を立て、祝福を授けているのですが、それすらも無視しているようで、なんとも虚しく見えてしまいます。

余談ですが、実はこれと同じ絵がヴェルサイユ宮殿にもあります。但し、ヴェルサイユ版は後年にダヴィッドが描き直したもので、登場人物の服装を流行に合わせ、若干リニューアルしています。(そして振り向くとジョセフィーヌとマリー・ルイーズの肖像画が並んで展示されているのも、何だかなあ…)

それにしても、これでもかというくらいナポレオンに取り入ろうとするダヴィットの意図が見え見えで、ちょっとコワ面白い絵です。

■ ナポレオンの女たち


総勢200名もの登場人物。そのほとんどが、特定できる実在の人物です。しかし、実際にはこの場にいなかった人物も描かれています。その最も有名な人物が、ナポレオンの母、レティツィア。彼女は、皇帝になるなんてとんでもない傲りだ、と息子の愚行を非難し、戴冠式には参加しませんでした。ナポレオンの栄枯盛衰を冷静に見つめ,没落後は救いの手を差し伸べる、まさに賢夫人でした。

いかにも貞淑な妻、という佇まいで冠を授かる皇妃ジョセフィーヌ。ナポレオンがまだ名もない軍人に過ぎなかった頃に、彼女は時の権力者ポール・バラスの愛人でした。社交界の華と謳われたこの7歳年上の未亡人にナポレオンは恋い焦がれ、ついに結婚するのですが、彼女の浪費と浮気に終始悩まされることになります。しかし、処世術に長け、頭の良い彼女に多くの影響を受け、ナポレオンはめきめきと頭角を顕していきました。

始めはナポレオンを疎ましく思っていたジョセフィーヌですが、彼がもたらしてくれる栄光と黄金、そして彼自身の才能に気づき、いつしか本当に愛するようになっていましたが、運命とは皮肉なものです。この野心家の男は、皇帝である自分の血を、さらなる高貴なものとして残すために、ジョセフィーヌと離縁し、ハプスブルク家の皇女マリー・ルイーズを妃に迎えます。そこまでしたのに、息子であるローマ王(ナポレオン2世)は夭折してしまいます(ほかにも庶子はいたようですけどね…)。後に、ナポレオン3世が登場しますが、彼はナポレオンの甥で、ジョセフィーヌの孫にあたります。

■ 英雄の条件


しばしば「コルシカの成り上がり者」と呼ばれるように、下級軍人に過ぎなかったひとりの男がフランス皇帝にまで登り詰める経緯には、様々な人間の思惑を感じぜずにはいられません。野心をひた隠しにし、自分は相手を脅かす存在でないと思わせること。戦いに勝ち続けることによって国民の人気を維持すること。英雄が英雄で居続けるために与えられた神からの課題には、人間であればこその業に、さすがのナポレオンも打ち勝つことができませんでした。

その後の彼の運命を知ればこそ、この絵はいっそう感慨深いものとなります。



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